南佐渡の魅力大特集! ~民俗学者 宮本常一編~

民俗学者 宮本常一

みなさんは「宮本常一(みやもとつねいち)」という人物をご存知でしょうか? 彼は生涯にわたって旅をし、約三千以上の村を歩きながら人々の暮らし・文化・経済の研究をしたとされています。また、独自の民俗学を確立させ、離島問題や地域開発、観光振興、農業指導にも関わり、佐渡にもその指導のため繰り返し訪れていました。

宮本常一について

生まれは、山口県周防大島。農家の息子として生まれましたが、家業を継ぐことにはあまり気が進まず、16歳の時大阪へ渡ります。その際、人々の暮らしとその背景にある歴史に興味を抱くようになります。学生時代には柳田國男(日本の民族学者・官僚)の研究に関心を示し、その後渋沢敬三(日本の財界人、民俗学者)に見込まれ、本格的に民俗学の研究を行うようになりました。宮本の民俗学は非常に幅が広く、後年には観光学研究のさきがけとしても活躍したとされています。民俗学の分野では特に、生活用具や技術に関心を寄せ、民具学という新たな領域も築きました。73歳で亡くなるまでの約51年間、日本各地を訪れ調査し、多くの記録を残しました。

小木地区とのつながり

現在、観光地として知られている、「佐渡国小木民俗博物館」 この博物館の設立に大きく尽力したのが、宮本常一です。

こちらの博物館は、昭和45年に廃校となった旧宿根木小学校の校舎を活用し、約3万点もの農具、漁具、船大工道具、生活の古民具などが展示されています。中には、国の重要有形民俗資料に指定されたものもあります。 また千石船展示館には、完全に復元された千石船「白山丸」が展示されています。

廃校舎の復活

なぜ、廃校舎を利用することになったのか…。それは、宮本が切実に「沈黙した小木の町の空気を打破したい」と思う気持ちからでした。 過疎化が進み、学校の統廃合問題が深刻になる中で廃校舎を利用することは、村の人々に活力を与え、また多くの人が集まる集会場となると宮本は考えたのです。そのころ日本は、高度経済成長期によって 多くの家電製品が普及し、今まで使われていた生活道具は大量に捨てられていました。しかし、その捨てられてゆく生活道具には、「先人たちの知恵や努力、先人たちが歩いてきた足跡を見つけることができる」と宮本は考え、住民たちに「捨てられていく生活道具を集め、廃校舎を利用して民俗博物館を作ろう」と提案したのです。その教えのもと、住民達は一体となって収集作業をし、過疎地の小さな集落に賑やかな博物館ができあがりました。このことがきっかけとなり、地元の人達の物の見方や、考え方は大きく変わることができました。こうして、観光や、文化的なことを主とした結果、現在の小木の町へと発展し、今もなお「佐渡国小木民俗博物館」は重要な観光スポットになっています。

施設情報

住所 〒952-0612 新潟県佐渡市宿根木270-2
TEL 0259-86-2604
営業時間 8:30~17:00
休業日 年末年始(12/29~1/3),12月~2月,月曜日
交通案内 小木港から車で約10分
駐車場 あり 50台
最寄りのバス停 小木民俗博物館(宿根木)から徒歩10分

羽茂・赤泊地区とのつながり

佐渡の特産物として知られている「おけさ柿」
種がないので食べやすく、とても甘いことで有名です。また栄養価が高く、美容面、健康面でも嬉しい効果があるとされています。
この「おけさ柿」の栽培に尽力したのが宮本常一です。

佐渡でおけさ柿の栽培が盛んに行われるようになったのは、戦前のことです。先駆者としては「おけさ柿の父」とも称される「杉田清」という農業技術員があげられます。その彼の取り組みを、宮本は全面的に支援しました。

おけさ柿の誕生

杉田が柿に注目した理由は、「平核無柿(ひらたねなしかき)」で人気のあった山形県庄内市の原木が、新潟県新津市で見つかったというニュースを見たことがきっかけでした。そのころ羽茂では、二十世紀梨を特産品化する動きが出ていましたが、梨の栽培は高度な技術を要し、誰もが作って産地化できるものではありませんでした。そのため、新潟県原産の柿ならば佐渡で栽培しても、良い柿ができるのではないかと杉田は考えたのです。その思い通り佐渡の気候条件と合い、従来から羽茂にあった品種の十二が柿を土台にし、試行錯誤したところ、栽培はうまくいき多くの柿を全国へと出荷しました。こうして羽茂が先陣を切って栽培を行い、赤泊にも影響を与えていきました。平核無柿は、もともと種がないことから、越後の七不思議に次ぐ珍しい柿として「八珍柿」(はっちんかき)といわれていました。それを佐渡では、民謡「佐渡おけさ」にちなんで「おけさ柿」と名付け、現在の「マルハマーク」をつけブランド化されていったのです。

開拓パイロット事業

宮本は羽茂だけではなく、赤泊でも柿の栽培をするために、開拓パイロット事業(畜産・果樹など成長分野の育成のため耕地開拓を行うもの)を推進し、村の7割を占める山林地を開墾することを考えました。

その取り組みを実現させるため、国とのパイプ役に尽力し、赤泊地区にも大きく貢献してくれたのです。 今では全国各地に「おけさ柿」の名は広がり、多くの方に愛される特産物となりました。

宮本の一句

「城あとは 柿の木畠 いま芽ぐむ」
宮本が柿畑から羽茂の町並みを眺めた際、詠んだ句です。現在羽茂地区の菅原神社前の羽茂川沿いに、句碑が置かれています。

宮本は常に、訪れた地域がどうしたらよりよくなるかを考え、地域の現状を見極め、その地域にあった指導をしてきました。このような宮本の取り組みにより、小木では、観光や文化的なことが活かされ、羽茂・赤泊では産業や地域開発が主に行われ、現在の小木・羽茂・赤泊の姿へと発展していったのです。